成功か、失敗か。
好かれるか、嫌われるか。
現状は最高か、最悪か。
人は、複雑かつ多様な現実の出来事を単純化することで物事を判断して日々生きている。
この単純化の手法として、上記のような「二元論」で物事を捉えることがよくなされている。
物事の二元化は生きていく上で必要なことではあるけれど、現実に存在する「割り切れない問題」を思考から消すことにもなり、ひいてはこれが成功か失敗かの二択でしか物事を見ることができない「完璧主義」に陥る原因にもなる。
単純化・二元化に起因する完璧主義を排除するためにはその間に存在する「グレーゾーン」の存在を理解して受け入れることが必要で、これは完璧主義で苦悩する人の助けになるはず。
では、グレーゾーンの存在をどのようにして受け入れていけばいいか。
私は目下完璧主義に悩んでいる最中であるところ、そんな立場から考えたことを以下に列記する。
①ラベリングをやめる
成功も失敗も、好きも嫌いも、最高も最悪も、厳密には事実ではない。
特定の事象を見た上で、それが成功であるか失敗であるか等を評価した結果として生まれる言葉に過ぎない。
要は、事実に対して言葉で何らかのラベリングを施しており、これは人の価値観により変わるもの。
こうした必ずしも事実を反映していないラベリングを一度取っ払って、その事実を直視する。
すると、成功でも失敗でもない、グレーゾーンが見えてくる。
②自分よりも前に他人を許す
グレーゾーンが見えて来たとて、完璧主義に陥った思考では、見えたグレーゾーンを受け入れられるとは限らない。受け入れるにあたっては、思考の癖を変えていく必要がある。
完璧主義とは、成功か失敗か、自分が描いている二択の状況しか存在を許せない状況であると考えると、「思考の癖を変える」とは、自分が描いた二択以外の事実の存在を日頃から許していく姿勢を持つということ。
だから、日常の予期せぬ出来事をとにかく許していく、ということを試してみる。
まずは他人を許すことから始めてみる。許しがたい他人を許すことができてこそ、自分のことを許すハードルが下がるのではないか。
③義務的に許すことから楽しむ段階へ
上記のとおり「許す」ことを意識的に癖づけることから、許すことを「楽しむ」段階に進むことが出来れば理想的。成功だろうが失敗だろうがどちらでもいい。とにかくグレーゾーンに飛び込んでみよう。極端には、そういう精神状態になれたら、最強。
まとめ
物事を単純に捉えて選択肢を設定して選んでいく。
人はいつまでも現状にとどまっている訳にはいかず選択を繰り返して進んでいくものだから、この作業は生きていく上で必要なものではある。
だけど、時には進んでいくことが苦しかったり、どの選択肢も選びたくない、ということもあるだろう。
そういう時こそ、単純化の陰で抜け落ちてしまったグレーゾーンが存在することを思い出し、そこに飛び込んでみる。
そこで新たな選択肢が見つかることもあればいいし、見つからなくてもグレーゾーンもあるんだと認識できるだけでも心は軽くなるはず。
どちらにも偏らない、グレーゾーンに居続ける社畜でありたい。
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