「人事を尽くして天命を待つ」
自分にできることは全てやり尽くすことができれば、結果は後から着いてくる。加えて、自分の気持ちとしては、結果が出なくてもやり切ることができたことに満足ができる。
私の場合、結果に縛られると不安になるから、結果ではなくプロセスに全力を注ぐスタイルが最も気持ちが楽になる。そのスタイルを端的に表現するこの言葉が好きだった。
だけど現実の社畜生活では、どんなことにも人事を尽くすことも難しい。
仕事が次々に舞い込む中で時間も自分の能力も足りないと感じる場面があって、自分で設定していた人事を尽くせなかった時には精神的にダメージを少なからず受ける。
だから最近は、人事を尽くしてばかりではなく、「人事を尽くさなくても意外と大丈夫」というマインドを少しずつ養成しておく必要性を感じている。
「頑張らない」をトレーニングする
一般的には幼少期から頑張ることを前提とした教育をされており、社畜生活で頑張ることをトレーニングをする重要性は少ない。寧ろ頑張らなくても大丈夫というマインドを養成する方が、メンタルを守るためであったり、あるいは最近よく聞かれる「コスパ」「タイパ」の観点からも重要で、それに応じたトレーニングを意識的に行いたい。
社畜生活の中でトレーニングをするのであれば、手元の仕事に対して「あえて頑張らない」対応をし、その結果として大丈夫だったという成功体験を積み重ねることが必要になる。
自分の手元にある個別のタスクが頑張りが必要なものかどうかを見極め、最悪失敗してもトレーニングの範疇で済ませられるタスクを選ぶ。そして敢えて頑張らずに対応する。それで特段問題なかったなら、それは成功体験になる。
疑うことなくどんなことにも頑張ってきたならば、まずは一つでも意識的に頑張らないことから始めてみてはどうか。
社畜が想う(まとめ)
「頑張る」一本槍で勝負し続けることができるのであれば、それは素晴らしいこと。だけど、自分のようなメンタル弱めの社畜にとっては、頑張ることは頑張りつつ、敢えて頑張らない方向での振る舞いも身につけて使い分けることでストレスを逃がしながら進んでいく方が、持続的な社畜生活につながると考えている。
SDGs、多様性の時代。頑張るという価値観だけを賞賛せず、頑張らないこともうまく取り入れていきたい。
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