無理をして辛くならないためにも「キャパシティ」の中身を理解しておく

メンタルヘルス

人それぞれにキャパシティには限度があると言われるが、ここでいう「キャパシティ」とは何なのか。

無理をして辛い状況に追い込まれることを防ぐためにも、この「キャパシティ」をより詳細に定義したい。

個人的な経験を元に定義をするならば、それは次の式によって現される。

キャパシティ=①環境制約量+②タスク量(=一定値)

人のキャパシティ、つまり許容できる物事の質量は、①自分が置かれている環境の制約量と②自分が取り組んでいるタスクの量によって決まる。

例えば、威圧的な上司が側にいる執務室で仕事をしている(①が大きい)と、何もしていないのに疲労してしまう。

これは、①+②が一定値であることを前提に「①>>>②」の状態で、タスクをこなす量が極端に小さくなっているというイメージ。

私の経験では、無駄に威圧的な上司の下での仕事を強いられた時は執務室にいる間はほとんど頭も体も動かない状態で、仕事は出張中など上司が存在しない時に浮かんだアイデアを外出中にひたすら記録してドラフト版を作り(①<<<②)、執務室ではドラフト版を最終版にまとめ形にするだけ、というワークスタイルで何とか乗り切っていた。

また、この環境制約とタスクの量的関係は仕事だけに限らないと感じる。

こちらも私の経験では、プライベートで移動をする際イヤホンで音楽やラジオを聴くのが習慣であるところ、徒歩移動の時には刺激的な音楽やラジオを楽しむことができる一方、電車など公共交通機関の利用時は不思議と音楽もラジオも聴くのが辛くなってしまい、耳ざわりのいい環境音などを選びがちになる。

これは、移動に際しても自由度の高い徒歩などの手段に比べて時間や空間の制約がされる公共交通機関では自ずと①環境制約量が大きくなり、趣味の内容であってもできること(②タスク量)が小さくなる、という関係が存在する、ということだと考えている。

よく「ストレスを感じる」という言葉は、やりたくない仕事をやらされている時などを意図して使用されることが多いが、趣味など自分の好きなことであってもストレスはかかっており、自分が体験可能なキャパシティは一定で、環境面の制約の多少に応じて楽しめる量には限界があるのだと思う。

そのように認識すると、仕事時間の自分の限界値のコントロールがしやすくなるほか、平日の疲労が一杯の休みの日にダラダラとYouTubeで延々と動画を見てしまい結局疲れが取れていない、といった状態も意識的に避けることができる。

自分のキャパシティと置かれた環境制約を考慮して、仕事で無理しないことはもちろん、趣味を楽しむことも程々にしておく。

自分を労わりながら、生活全般でバランスをとりながら生きていく。

コメント

タイトルとURLをコピーしました