独自の世界を築きがちなINTJこそ人との相対化を試みると楽になれると思った話

「命をなくした人も多いのだから、片腕くらいとわりと気楽に思っていた」

ゲゲゲの鬼太郎等の作者、故・水木しげる氏の言葉。

戦時中に片腕を失ったものの、同僚等が戦死したことを踏まえると大事ではない、という意図が含まれている。

この言葉からは、「日常を生きる中で直面する大変さや息苦しさは一見、絶対的なものに感じるけれど相対的なものに過ぎない」ということに気付かされる。

日々の社畜として過ごしていると、日常の中に辛さや息苦しさを感じることも多く、これは自分の性格特徴が組織向きでないことなど自分固有の原因による動かし難いもの、と考えてしまいがちになる(自分がINTJ型の特徴を有すると知って以降、その傾向が強くなった気もする)。

だけど、もし自分自身に戦争体験など過酷な経験があれば、それを比較対象にして同じ社畜としての現状を捉えると、その息苦しさの評価は相対的に軽いものになるのだろうとは容易に想像できる(もちろん戦時中と現代日本とでは状況が異なり比較できるものではないとは承知している)。

とはいえ、自分に経験のない出来事を直接に経験して相対軸を手に入れることはできないから代替手段を考える必要があって、本を読むことや他人の話を聞くことはその手段となり得る。

自分で経験できないなら、自分以外の誰かの経験を取り込んで相対軸にする。上記の水木氏の言葉を聞いてどこか心が軽くなったのは、同氏の経験を自分に取り込んで相対的に今の自分が置かれた状況を捉えることができたからだと思う。

INTJ型人間はどちらかというと自分の内面と向き合う方法で現状打破を試みることに重きを置く性分だと言われることが多く、それは相対か絶対かでいうと後者の傾向にあるともいえる。だけど、自分以外の誰かの言葉に耳を傾けることで自分を相対化して心を軽くすることもできるし、ひいてはそれが新しい発想に繋がる可能性もある、ということに留意しておきたい。

コメント

タイトルとURLをコピーしました