無意識での金銭支出を意識下に置いた上で削減したい

自動車で長距離区間を移動するシーン。

高速道路整備済のエリアであれば、移動手段として高速道路か一般道を選択できる。私の場合、こういうケースにおいて何の疑問も持たずに高速道路への課金をしていた。

だけど、先日に自動車移動をした際にふと思った。その高速道路を利用した移動には課金するだけの価値があるのか、と。

そう思った背景には、私自身が会社員として働き続けている現状への疑問が強くなり、労働への対価として得たお金を無意識に使うことに抵抗を持つようになったことがある。

高速道路への課金メリットはどの程度か

高速道路の主な利用価値は「時短効果」だろう。他にも運転自体の快適性などもあるかもしれないが、個人的には車自体や運転を趣味とはしていないので、私にとってそうした価値は見出しにくい。

そこで、移動における「課金金額」と「時短効果」との関係について考えた。

先日、私用での自動車移動の経路と時間についてGoogleマップを使い調べたところ、次の2パターンが候補として抽出された。

①高速道路利用:移動時間1.5時間、料金3,000円

②一般道利用:移動時間2.0時間、料金は0円

つまり、高速道路利用という3,000円の投資をすることで30分の時短効果を得ることになる。

この時短効果への投資に対する評価は人それぞれだとは理解している。例えば起業家や資産家等は少しでも移動時間を削減することに課金することには惜しまないイメージがある。

その認識はした上で、あくまでも「望まない社畜」である自分の立場から高速道路利用のメリットの程度を評価してみた。

労働2.5時間分の課金で30分の時短効果を得ることの価値

本ブログの別記事にて、会社からの実質拘束時間を含めた自分の社畜としての労働単価を約1,200円と試算した。

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この数値をベースにすると、3,000円の課金は2.5時間分の労働時間とイコールになる。

単純計算だが、30分(0.5時間)の時短のために、時間としてその5倍となる仕事2.5時間分の課金をすることは、割に合うのか。そう考えた結果、私の判断としては、30分の時短がなくともスケジュール的には問題ないということもあり、一般道で時間をかけて移動をすることにした。

無意識の支出が持つ意味を考える

今回は「高速道路の利用」というシーンを例に取り、その課金により提供されるサービスのメリットについて「時間的な価値」と「自分の労働単価」の観点から評価をした。その結果、当該サービスに対して課金をする価値はないと判断した。

日常生活には、こうした「長距離区間の自動車運転なら高速道路を利用するのが普通でしょ」といった、無意識に課金をしているケースが他にも存在しているように思う。そもそもそのようなことを考えること自体が時間や思考のリソースの無駄だとも言えるが、個人的にはこのようなことを考えること自体は嫌いではないし、何より社畜でいる期間を少しでも短くするためには、最も簡単にできる取組だと思う。

予想外の支出に息苦しさを覚えないように

とはいえ、こうした考えが行き過ぎると、「無駄な支出をしてしまったことへの後悔」に囚われてしまうというデメリットもある。上記の自動車移動の時には、途中で経路を間違えて少しだけ高速道路区間に入り込んでしまい350円を無駄に使用してしまい、暫くそのことへの後悔に心が奪われてしまった。

人生は予定通りに進まないことばかり。だけど時間は一定の間隔で過ぎていく。

物事の合理性や無駄の排除について考えて行動するのはいいが、それが予定通りにできなかった時に後悔することは、新たな無駄な時間になっていく。

だから考え方は一つに絞らずに多様性や切り替える柔軟性も併せ持つ。本例であれば、図らずも高速道路を使用して3,000円を課金してしまったのだとしたら、その分で未来に生み出される30分という時間ををできるだけ素晴らしい時間に変えていくことに思考を使う。トータルで心地よく過ごすことが大切で、支出管理など社畜脱出のための取組はその手段に過ぎない(超重要な手段ではあるが)。

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