カフェでの注文ミスで250円多く支払った損失を取り戻そうと悪あがきした話

ある日、外出先で立ち寄ったカフェ。

コーヒー等を注文し、計算上は合計450円程度であったはずなのに、店員か自分のいずれかが注文内容を間違えたのか、会計が700円となっていた。

その場で店員に確認をして注文をし直せば済んだのだが、何となくその一言が発せずに700円を支払ってしまった。元々内向的で気弱な性格であるが、イエスマン・事なかれ主義の社畜として飼い慣らされているとも感じた悲しい瞬間。

意図しない追加250円・約1.5倍の支出をする羽目になった私は、少しでも損失を回収するために次の2つの行動を取った。

金銭損失を時間の追加投入で取り戻す2つの行為

①カフェの滞在時間を通常の1.5倍取る

私は元々カフェ巡りが好きだが、一店舗での滞在時間はせいぜい1時間程度。今回は、その1.5倍の1時間半以上の時間、そのカフェに滞在。店側からすれば迷惑な客と化した。

②帰宅時の電車賃をケチるために30分歩く

そのカフェは駅近の店舗だったが、電車賃を100円程度削減するため、遠くの駅まで30分程度歩く。散歩は趣味なので特に苦ではなかった。

この①②の行動の問題点は、金銭面の損失のみに拘り、時間の価値を無視していること。必要以上の時間を投入することで、金銭的な損失に加えて時間も失う二重損の状態になっている。

追加投入時間を価値ある内容に変える

プライベートの話に参照するには適切ではないかもしれないが、サンクコストの観点からは、既に生じた損失については引きずらずに切り上げることが合理的な行動なのだろう。

サンクコスト効果とは――意味と例をわかりやすく解説 - 『日本の人事部』
サンクコスト効果とは、すでに発生していて取り消すことができない事柄のコストに気を取られ、合理的な判断ができなくなる心理傾向のこと。埋没費用効果やコンコルド効果、サンクコストバイアスともいいます。

けれど、「切り上げること」と「時間的な追加損失すること」の中間点となる行動はないか探りたい。それは『追加投入する時間の中で得られる価値の最大化を図る』ということではないか。

ここでいう「価値」とは、追加時間における楽しさや豊かさといった内容でも構わない。節約に心血を注ぐ立場からは身も蓋もないが、人生は合理的に生きることが常ではない。生きている間に自分が感じる多様な価値をできるだけ多く享受できればいい。

そのように自分を説得した私は、カフェ滞在時間・駅までの徒歩時間・その後の時間を次のように過ごすことにした。

①カフェ滞在時間を簿記3級の勉強時間に充てた

私は目下、脱社畜を夢見て節約などミクロすぎる行動に取り組んでいる。その行動の一つとして、お金の勉強をしている最中。先日、その第一弾としてFP3級の資格を取得し、次なる目標として簿記3級の資格取得に向け目下勉強中。そして、学問としての簿記の面白さにハマっている。いつもは自宅で勉強していたが、せっかくだからカフェ時間をこれまでの勉強内容を振り返りまとめる時間として活用した。金銭的な損失を取り返そうという執念がモチベーションにつながり、非常に集中できたと実感。

②徒歩は歩くのが楽しそうな道を選んだ

当該地は大阪だったのだが、多少遠回りをしてでも散歩をして楽しそうな道を選んだ。道中には大阪城もあり、夜はライトアップされて綺麗だったし、大阪城公園内には洒落たカフェや歴史的な建造物があった。私は関西に移住して日が浅いことから、新たな気づきも多く、楽しかった。

③失敗をブログにより言語化した【本記事】

今回の失敗やそこから思考して行動したことを、言語化して自分自身に叩き込みたいと考え、本記事を執筆した。失敗は経験の元、と言われるが、失敗を経験に変えるには、何が失敗でそこから何を学んだのかを言語化することが第一歩。人は言葉にできたことは実現できるはず。逆に言葉にできないことの実現は難しいとも思う。こうした言語化力を鍛えることは仕事の場面でも活用でき、(あまり本意ではないが)社畜としての適応力向上にも繋がるのではないか。

損失は別の形で取り戻してもいい

金銭的な損失をバシッと損切りできれば時間等の追加損失を防ぐことはできる。だけど、損失に対し追加時間を投入して行動を工夫することで、損失を別の形として取り戻すという考え方はBプランとして持っておいてもいい。時間の使い方は自分次第なのだから。

今回の私の場合、たまたま簿記の勉強が面白かったことや元々散歩も嫌いではなかったことを利用してBプランを取った。趣味でも勉強でも自分のやりたい事を予め持っておくことは、予期せぬ損失を取り戻す準備手段ともなり得る。

そういう意味で、趣味はもちろん、大人になっても学びを続けることは大切だなと感じた。

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