Netflixドラマ「THE DAYS」を視聴。
東日本大震災と福島第一原子力発電所事故時の関係者の状況が、発電所内・東電本店・政府の3つの視点から描かれた全8話のドラマ。
本ドラマはジャーナリスト門田隆将氏の著書「死の淵を見た男―吉田昌郎と福島第一原発事故(角川文庫)」を原案にしたフィクションではあるものの、本著が関係者へのインタビュー等で構成されたものでもあることから「事実を元にした物語」と銘打たれ、実際に現場で起きたことをベースに、関係者の極限状況下での対応や心理状況等が克明に描かれている。
全てのことは知り得ない
まず、本記事は東日本大震災や福島第一原子力発電所事故についての個人的見解を記述するものではないと明言しておく。
私自身は関東某所で被災した経験と、各種ニュースのほか東電廃炉資料館にも行くなどの情報を元にした自分なりの価値観があるが、発生から12年が経過して人それぞれ異なる考えや価値観があるはずであり、専門家でも関係者でもない一社畜の価値観を表明するのは憚られると考えている。
その上でこの「THE DAYS」を観て、社畜として日々を生きる立場から得られた気づきとしては、「いくら経験を重ね情報を集めようが、当事者ではない人間には知り得ない事実が存在する」ということ。このドラマでいう当事者とは、福島第一原発事故対応に当たられていた方々のことを指し、この方々の極限の状況下での心理状況等を私が経験することも知ることもできない。
知り得ないことを前提に判断して進む
何事にも言えることだが、生きるということは物事を判断・決断して進むことで、ことの重要性に差はあれど、人は日常生活の中で様々な判断をして行動をしている。そして、判断の背景には個々人の持つ経験や情報が判断基準として存在する。
一方で、人は全てのことを経験はできないし、全ての情報を得ることもできない。それは自分の判断の前提として、存在するはずの事実が参照されず排除されているということでもある。
福島第一原発の件で言えば、確かに関連情報は多く得ることができる。だけどそれが全てではなく、当事者にしか知り得ないこともある。この「THE DAYS」が事実を元にしたドラマであっても、ここで語られる内容が全てではない、という点では変わりない。
自分の判断は間違っているかも知れないからこそ謙虚になれる
知り得ない情報がある中で判断することは良し悪しの問題ではなく「そういうものである」というだけのことで、それ自体が重要視されるものではない。むしろ重要なことは「知り得ない情報がある中で判断している」ことを心から認識すること。
言い換えれば、どれだけ自分の判断に自信を持とうが、それは100%の事実と経験に基づくものではない以上、事実とは異なる判断である可能性は否定できないことを理解する、ということ。
限られた情報に基づく自分の判断は事実とは異なるのかも知れないと腹落ちさせることは、こだわりをなくし柔軟性を与えてくれる。そして、事実とは異なる可能性があることを主張するからこそ謙虚でいられる。
社畜が想う(まとめ)
社畜生活も、情報を集め自分なりの経験を重ねた結果を踏まえて判断することの連続で、経験と情報に基づくからこそ自信が持てる。一方で、それがこだわりを生むことで感情的になったり自分自身を苦しめることにもつながってしまう。
だからこそ「全てを知り得ることはできないし、自分の判断は誤っているかも知れない」と理解することは、社畜として身につけるべき作法であるだけでなく、自分の心身を守るためにも必要でもある。
何が正しいかはわからない。せめてその分、謙虚にありたい。
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