生きていくために「手を汚す」ということ

名言

アーティストの米津玄師氏が以前にキャスターの有働由美子氏との対談の中で発言した下記のコメントを今更ながらに思い出した。すると、社畜生活の中で抱えている葛藤が少しだけ和らいでいった。

(人は)ある程度生きているだけでどこかで誰かの事を邪魔しながら、誰かが生きていくのを阻みながら生きていかなければならない。それは誰しもそうなんじゃないかなというふうに思ったりするので、生きていく限りは手が汚れていくのもどうしても避けられない。

米津玄師(日本テレビ「NewZero」内でのコメント) ✳︎抜粋

聖徳太子が定めた日本初の憲法「十七条憲法」の第一条における「和を以て貴しと為す」という規定に象徴されるように、日本には人との協調の重要性が重んじられる歴史的背景が存在する。私自身も子供の頃の学校教育から現在の社畜生活に至るまで人と協調することが当然という価値観で育ってきたし、同じような価値観を持つ人も多いのではないかと想像する。

でも現実には、最終的には協調という形でまとめられたことも含めて、そのプロセスとして個人の身の回りに起こるレベルの出来事の中には、人との関わりの中で自分の場所を取るために対決することや勝ち負けもある。

あらゆる人と手を組んで生きていくという理想は持ちながらも、それと表裏一体で対決という現実手段の存在を許容し胸に秘めておく。それは人との協調と自分個人の人生との調和を図るために必要なこと。

米津氏が言語化した「手を汚す」という表現から、私は上記のような事を想像した。それは、協調と対決という矛盾に悩むいち社畜の心を少しだけ軽くしてくれる。

コメント

タイトルとURLをコピーしました