自分の言動の良し悪しを評価されるほど、相手は自分に関心を持っていない

「今の自分の発言は相手に悪く思われたのではないか」

言葉を発したり、行動をしたりする度に相手の反応が気になってしまうし、その後にずっと悩んでしまう。

自分の言動が周りの他人にどう思われているのかばかりを気にしてしまう性分を何とかしたいから、次のことを心に留め置いて人と接したい。

「言動の良し悪しを評価されるほど、相手は自分に関心を持っていない」

自分の言動に対する相手の評価が気になる

「他人の目を気にしなくてもいい」

何度もこのように言われても、多かれ少なかれ他人の目は気になってしまう。

例えば仕事で失敗してしまった時。

失敗自体はよくあるが、案外、失敗の内容自体は取るに足らないものであることも多い。ただ、内容的には取るに足らない失敗であっても、上司や同僚など周囲からの評価が下がってしまったのではないかという考えが頭をよぎることが失敗の苦しさの正体なのではないか、というのが実感に近い。

プライベートの場面でも、私は普段行かない店に行くのが億劫になる性分だが、その理由は、知らない店や業種の暗黙のルールがわからずに、店での自分の振る舞いが店員からどう思われるかわからない、という不安があるから(何となくのイメージとして、某「ラーメン⚫︎郎」に行くのは何となく怖い)。

評価の良し悪しというより、関心なし

確かに仕事でもプライベートでも、自分の言動が誰かの期待に応えられないものになってしまうこともあれば、それによってその誰かの怒りを買ってしまこともある。

だけど、渦中を過ぎれば忘れてしまうだろう。

その相手からすれば、一時は怒りや負の感情が生まれる事はあれど、大して思い入れのない他人の言動のことなどいつまでも考えたりはしない。その人がよほどの暇人であるか、自分が芸能人など余程の注目を集める人間でもない限り。

なぜなら、誰だって自分の人生を必死に生きているはずだから。

関係の薄い、一般人に過ぎない他人のことを気にしている余裕も時間もないはず。

まとめ

自分の言動が他人にどう思われるかを気にしてしまうのは仕方がない。

だけど、それは本来気にするだけの価値のないものだと理解しておきたい。

なぜなら、他人から自分の言動の良し悪しの評価は一瞬はされたはするものの、それを上回ってそもそも関心を持たれておらず、そんな評価はすぐに消えていくものだから。

自分の人生なのだから、他人ではなく自分に関心を持って、生きていけばいいのだ。

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