全ての未来を知ったかのように悲観しなくていい【未来予測が生み出す悩みについて】

未来予測の功罪

「先のことを予測して行動する」

何かの判断をして前に進もうとする時には、意識せずとも未来がどうなるかを予測する。

時には現状から予測できる未来が暗いものばかりで、あたかもそれが現実化してしまったかのように苦しくなることもある。

一方、個人的な経験からくる肌感覚ではあるけれど、散々悩んだ後いざその時に直面した時に、予想通り火を吹いたことよりも、驚くほど取り越し苦労で終わったことの方が多い印象がある。

逆も然りで、平穏無事だろうと予測していた時に予期せぬトラブルに見舞われたことも、山ほどあった。

未来予測は仮説に過ぎない

未来予測は大切でこそあれ、予測した未来は現実ではなく仮説に過ぎない。

特に様々な思惑を持った様々な人が関わって成立している会社組織においては、プライベートでの個人活動など自己完結可能な世界と比べて自分一人の仮説の存在感は相対的に小さくなる。そして、その分だけ予期せぬ出来事は良くも悪くも増え、仮説は精度は低くなる。

低い精度の仮説でしかないのだから、全てを知ったかのように悲観をする必要もない。

大丈夫だろうと思っていたら大丈夫じゃないこともあるだろう。そういう時は、不完全な一人の人間として、組織において存在感の小さい平社員として、「予測できなかったけどそういうこともあるよね」程度の力加減で捉えればいい。

逆に、未来予測の見通しが悪く悩んだ時は心の中でこう呟いてみる。

「不完全な人間が予測した暗い未来が訪れる保証など、ない。」

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