理由を見つけては相手を非難する行為について思うこと

雑記

タレントのryuchell(りゅうちぇる)氏が亡くなられたとの報道。ご冥福をお祈りいたします。

私は数年前にメンタルを病みがちになって以来、様々な情報が飛び込んでくる刺激が耐え難くなってテレビを見る機会が減ったこともあり、同氏の近年の活動についてあまり把握をしていないが、報道等によれば、同氏の価値観や行動に対する誹謗中傷があった、とのこと。

このニュースから、社畜生活の中で時折直面する「理由を見つけて非難する空気」について思うことがある。

(注:同氏への誹謗中傷に合理的な理由がある、という考えは一切ありません)

理由があれば人を非難してもいい空気

社畜として組織で生活をしていると、自分の判断や行動に理由が付随する。その理由が合理的でなければ詰められることもあるし、組織を優先して価値観に合わない行動をせざるを得ないこともある。

個人活動ではなく組織に属している以上、それも仕方ないことは理解している。だけど稀に、何らかの理由を見つけた瞬間に鬼の首を取ったかの如く非難される場面に遭遇する。

人が集まる会社組織では、知識・経験・立場・価値観などの違いや上下が生まれるのは必然的。だけど、そうした違いがある中で見つかった理由だけを根拠にして相手を必要以上に非難する行為は、些か短絡的だと感じる。

理由だけで人の感情は支配できない

人は感情を持つ生き物で、時には何の理由もなく感情が上下する。理由もなく不安になることもあるし、その逆も然り。これは、理由だけでは人の感情を支配できない、ということ。

見つけた理由を絶対視して相手を非難する行為ができるのは、人の感情を軽視しているのか、あるいは理解できていないからではないか。

そういう行為をする人の良し悪しに関する個人的な評価はここでは避けるが、少なくとも、理由ばかりを絶対視して感情を理解できない生き方は、その分だけ視野が狭い。理由は理由として大切だけど、加えて人の感情にも目を向けられる方が、その分だけ人生の視野も解釈の幅も広がり、気楽に面白く生きていけるはず。私はそう信じているし、そうありたい。

社畜として想う(まとめ)

自分の行動の拠り所でもある理由を求めることは、人生において当然のことではある。

だけど、理由だけが全てではないし、人それぞれに独自の理由もある。中には理由になってない理由もある。そして、感情には理由がないこともある。

それは、感情は人生を不確かにするもの、ということなのかも知れない。それでも、感情にも寄り添って生きていけたらと願う。

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