勉強していい大学を卒業して、大手企業に入社して安定した人生を送る。
親からはこのように言われて育ちずっと「安定」を求めて生きてきた。
ところが最近は、大手企業に就職せず起業やスタートアップその他柔軟な働き方が受け入れられるようになるなど、私が就職活動をしていた時代からは価値観の変化が起こっている。
先の見えない「変化」が当たり前の時代と言われて久しいが、かたや社畜として会社に不満を持ちながらも給料は貰えている身分にいる自分。こうした「安定」は有難いけれど、「安定」自体を不安に思うことも増えてきた。
「安定」に不安を覚える理由
安定するのはいいことのようにも聞こえるけど、今後数十年間、同じ環境に身を置くことをイメージすると、会社自体の存続はもとより、何とも言えない不安に襲われる。
特に、今の環境に100%満足しているならさておき、人間関係や仕事内容にストレスを感じながらも今の環境を変える勇気がなく消極的に選択していることが否めない中で、別の環境が「隣の芝生は青い」的に見え、自分はこのままでいいのかという焦りが生まれているのだと思う。
「安定の中の変化」という第三の選択肢
このブログのテーマ「それでも社畜として生きる」とは、起業やフリーランスに憧れはありながらも、飛び出す勇気もなく消極的に社畜を選ぶケースを前提にしている。
そして社畜として組織に揉まれながらもマインドセットを工夫して適応しつつ、組織特有のストレスを上手く緩和するメンタルヘルスを整える術を考えることで、社畜として出来るだけ上手く生きていくことを目指す。
それの前提を踏まえると「変化」といっても会社を辞めるような大変化ではなく、社畜ライフの中で心身が硬直化して身動きが取れなくならないよう「安定の中の変化」を見出していきたい。
それは、ただ盲目的に社畜としてこき使われるだけではなく、与えられた環境の中で自律的に過ごすということ。
とはいえ、基本的に変化にはどうなるかわからない恐れが伴う。ただ、そういう時、社畜には次のようなメリットがある。
・組織に身を置いているからこそ「セーフティーネットがある」ということ。
・失敗を一人で抱えるような致命傷を負うことは多くなく、やり直しが効きやすいこと。
「安定した変化」を起こすにあたり、変化の結果が引き起こす可能性ばかりに着目せず、組織力を生かした社畜ならではのセーフティーネットに目を向けるなど細かくリスクを見積もることで「安定の中の変化」を起こしていく。
まとめ
特に安定を志向して生きてきた私のような人間にとって、「変化」という言葉がアレルギーに感じる面もある。
だけど、安定していることに恐怖も感じるから、社畜としての安定の範囲で少しだけでも変化を起こす。
欲張りで我儘な社畜でいたい。
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