「悩んだ時は考えずに動け」と言われる。
立ち止まっていると不安が増幅するから、止まらず行動を起こすべきことは賛同できる。
だけど、行動を起こす際に感情を無視できない。
考えずに動くためには、その前に自分の感情を動かして腹落ちさせる、という段階が必要。
そして自分の感情は自ら能動的に感じ取って動かすことが望ましい。
他人の言動に従うように動くのは、他人の人生を生きていることと同義で面白くない。
とりわけ社畜である限り他の誰かの意向に沿って、時に上司から恐怖の感情を受けて動かざるを得ないことも少なくない。
でも、他人の言動をの捉え方は自分でも工夫の幅はある。
他人の言動を受動的に受け取るのではない。
他人の言動を能動的に受け取って、自分の行動を変えていく余地はある。
例えば、上司からの厳しい指示を受けて足がすくむことがある。
そこで立ち止まってしまうこともあるが、それすら情報と認識してできる限り自分の行動を変えていく自由は、無制限ではないにせよ自分に与えられている。
上司の指示は自分の手足を直接に押さえつけるものではない。
人間には本能的に恐怖から逃れる性質があると言われる。
それは、恐怖は自分を動かすエネルギーに自ずと変わる、という捉え方もできるのではないか。
それは恐怖に限らず感情の動き全般に言えること。
自律的であれ他律的であれ、感情の動きがあって行動は変わる。
ならば、自分が動きたい方向へ、あらゆる感情を使っていく。
社畜なりに、都合よく解釈すればいい。
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